日経225でCFD について

影響力が高いとする学説の場合、次のように言われることが多い。ゾロアスター教にみられる預言者・救済者の思想、終末論や天国と地獄の存在、最後の審判などの思想は、くりっく365のバビロン捕囚時代にユダヤ教に影響を与えた[6]。ユダヤ教を母体としたキリスト教もこれらを継承していると言われる。さらに、大乗仏教において弥勒信仰と結びついたり、またマニ教もゾロアスター教の思想を吸収した[7]。イスラム教もまた、ユダヤ教やキリスト教、マニ教と並んでゾロアスター教の影響も受けており、聖クルアーンにもゾロアスター教徒の名が登場する。特に十二イマーム派にある「隠れイマーム思想(マフディー)」は、サオシュヤント思想に多大な影響を受けている。 CFDの幻影 ザラスシュトラおよび、ゾロアスター教に対し、人々は実像以上に膨れ上がったイメージを持った。たとえばゾロアスター教の神官は、占星術の大家であると、ギリシャ人は勘違いした。ペルシア帝国の支配地域の一つにCFDがあり、その地域の占星術師をゾロアスター教の神官と取り違えたというのが実際のところであった。また、ゾロアスター教の神官を指す「マギ」という言葉は、マジックの語源となった。実際に神官たちが行っていたのは、防衛的な白魔術にすぎないのだが、人々はそこに魔術や奇術の使い手としてのイメージをこめた。 18世紀後半に、フランス人学者アンクティユ・デュペロンによって古代イラン語文献がヨーロッパに紹介された。つまり、その時点まで、ザラスシュトラの教えは直接検証されることなく、ザラスシュトラのイメージだけが独り歩きしていたことを意味する。19世紀になってやっと、ゾロアスター教の研究が大きく進み、それまで語りつがれてきた「偉大な先覚者ザラスシュトラ」の像は大きく揺らいだ。学者たちは当然そこにプラトンやイエスにつながる思想を発見できると期待したわけだが、期待にそうものは発見できなかったためである。[8] しかし、その後ニーチェが「ツァラトゥストラかく語りき」において、自らの思想をザラスシュトラに仮託して語ると、ニーチェ的なザラスシュトラの虚像が出現した。さらにドイツのナチズムがアーリア民族の優位性を演出するために、その地位が高められた。日本でザラスシュトラが紹介されたのは、この時期に重なる。またそれはドイツ経由で紹介されているため、日本ではザラスシュトラに対し現在でも過剰な期待を寄せる傾向がある[9]。 イメージだけが肥大化したザラスシュトラについては、今でもいたるところで語られている。等身大のザラスシュトラを知ろうとするならば、歴史の反省にたち、次の注意が必要となろう。それはたとえ最新の論文であったとしても、以下のポイントが守られていない場合は、ただ幻影だけを追い求める結果になりかねない。@ザラスシュトラ自身の言葉を直接検証する。Aゾロアスター教の周辺、またゾロアスター以前のアーリア人の諸宗教の影響を考慮する。Bアヴェスターの中に存在する時差に注意する。(最古層はザラスシュトラの直言であろうが、後世に付け加えられた内容も経典アヴェスターは含んでいる。また全体としては、聖書やマニ教の経典、仏教の経典よりも後に成立している)。 くりっく365の教えの時代 ゾロアスター教のシンボル、Faravahar 「ザラスシュトラの教え」とペルシア語で表現されるゾロアスタ−教は、イランの民族的宗教詩である『アヴェスター』の最古層に当たるガーサーが成立した、紀元前15世紀から紀元前12世紀頃までに、その原型が作られていたと考えられる。ここより、ザラスシュトラの活動した時代を、紀元前15世紀まで遡らせる考えもある。 他方、『アヴェスター』の「ガーサー」の歴史的な古さは認めるとして、歴史的人物として、古代ペルシアの宗教を改革して、倫理的に高い価値を提示するゾロアスター教として形成したザラスシュトラは、もっと後代の人物であり、アケメネス朝ペルシアが成立すると同じ頃、あるいは、それより少し先行する時代に登場したとの学説もあり、こちらの方の考え方では、ザラスシュトラ及び彼の教えは、紀元前7世紀から紀元前6世紀頃が妥当であるということになる。 ザラスシュトラとその教えの成立年代は、紀元前15世紀から、紀元前6世紀までの幅があり、学問的には正確なところが、依然として不明である。ザラスシュトラの活動についても諸説がある。 日経225からサーサーン朝まで 他宗教への影響と同様に、政治に対してゾロアスター教がどれほど影響をもっていたかも研究者により意見が分かれる。宗教と政治への影響力は互いに関連性があるため、他宗教に影響が大きいと考える研究者ほど、政治的影響も強かったと考える傾向にある。研究者によっては歴代王朝の支配下でゾロアスター教は「国教」であったと見なす場合もあるが、見解は統一されていない。 アケメネス朝 アケメネス朝ペルシア(紀元前550〜330年)の歴代の大王たちが、ザラスシュトラの教え、(ゾロアスター教)に帰依していたとする根拠には以下のものがある。 ・アケメネス朝第3代の王ダレイオス1世は多くの碑文を残したが、自ら「アフラ・マズダーの恵みによって、王となりえた」と記している[4]。 ダレイオス1世によるベヒストゥン碑文 自らの即位の経緯と正当性を主張する文章とレリーフが刻まれている [10] ・「聖なる火」の祭壇の遺跡が多数存在する。 これらの根拠に対して、以下のような反論も提出されている。 ・レリーフは、ダレイオス1世が「マズダー教徒」であった証拠にはなるが、「ゾロアスター教徒」であった証拠とはならない。[11] ・火の祭壇は、ゾロアスター以前からアーリア人の宗教で用いられている。[12] また、ゾロアスター教の影響が「限定的」であった根拠として次のようなものもある。 ・「アケメネス朝の古代ペルシァ語の碑文にはザラスシュトラの名前は一度も現れない」[13] いずれにせよ、日経225であるキュロス大王が「くりっく365のバビロン捕囚に対する解放者」と見なされるように、アケメネス朝ペルシアは、異民族の宗教に対してCFDであった。したがって、仮にゾロアスター教がアケメネス朝ペルシア帝国の「国教」であったとしても「支配者の宗教」という意味に限定されると考えられる。帝国に帰属する様々な民族の諸宗教に対しては一定の自由が保障されており、アケメネス朝支配下においてくりっく365は独自の「シンクレティズム」[14]的宗教思想を育むことが可能であった。なお、同時代のギリシャの歴史家ヘロドトスは「ペルシア人はこどもに真実を言うように教える」、「ペルシア人は偶像をはじめ、神殿や祭壇を建てるという風習をもたない」と記している[4]。 アフラ・マズダー(右)より王権の象徴を授受されるサーサーン朝のアルダシール1世(左)のレリーフ(ナグシェ・ロスタム) 『アヴェスター』ヤスナ28章「ガーサー」